ほわほわ。
あさからよくはたらかされたわー。
よいろうどうであった、とぜんぶなっとくできればさらにいいけれど
なんかはたらかされた感、あるんだよねー。
ようりょうよく、たちまわろうとしてしまう。
ほかのひとのちゅうとはんぱなしごとを
そのひとにやりなおしてもらうよりわたしがやったほうがはやいわ
(または、やってというと、とかんがえるともうめんどくさいからかわりにやるわ)
それをするから、じぶんでかってにつかれる。
グー×ル、「神の目」とかいう名で
しごと量測定機、かいはつしてくれへんかなー。
ベース時給、プラス
あとはそれぞれの、しごと量で給料がいただけるように。
たんじゅんなろうどうなので、測定できると思われ
(目のよこにつけた視覚カメラにうつるほんにんの手と
もののうごきなどで)
うろうろしてるだけで、しごとこなしてない
とかはよもやそれぞれでいいし
ずっとうろうろすることをわたしはゆるせるけど
そのしごとがおなじ時給、ってところで
おかしくなってくるんやとおもう。
よくあるじゃないですか、なんでわたしだけ、みたいな
なっとくいかないきもちをかんじるにんげんがでてくる
というようなこと。
それを、そのひとがはりきりすぎるから、というはんだんは
(みんながんばってる、とか)
やっていいときもあるけど
しょくばのもちべーしょんがたださがるだけのときもある
(しごとはがんばる、がんばらないではなく
けっかをもとめられるから)
すこしくらいの差ならおたがいてだすけ、とおもえても
あまりにさがありすぎると、ようりょうよく
たくさんしごとをこなすにんげんのほうが
「損だ」とかんじてしまうのだ
(ほんとうに損かどうかは、ひとそれぞれのなっとくのしかたでかわる)
神の目(カメラつき、しごと量測定機)があれば
みんななっとく。
「しょくばで、てきぱききびきびうごく、たくさんしごとをするにんげんが
こわいひとになる」
このげんしょうが、かんわされるのだ。
ぎゃくにほわほわしてゆったりしたうごきのひとは
(それでいいねんけど)
えっ、わたし
こんなにうろうろしているだけでまったくしごとこなしていないなんて
と、神の目のデータでいちもくりょうぜん。
まず無知の知、と、
データをいかせば
おおくのしごとをこなせるようになりたいひとは
じぶんがどのように行動しているかぶんせきして
時給でなくなれば、てきぱきやるかもしれへん(笑)
おおぜいのスタッフのビッグデータをみると
「ろうどうりょく」についておもしろいことがわかりそう
なーんて。
ま、いいや。あと2しゅうかん。
かんさつというか、ひとをうごかす(いい指示のだしかた)
れんしゅうのつもりで。
うえのひとらがそれができてないな、とうえをひょうかしたりして。
けっきょく、じぶんでえらんだじぶんのしょくばを
どうするか
どうかんがえるの、それで
(じぶんでどうかんがえて)
どのようにするの
(どのようにするか)
かんがえて、こうどう。
それをじぶんできめること。
神かー。神はじぶんかー。
かんさつしよー。かんさつをたのしむしかない。
ま、このシリーズはこれでおわり、ってかんじかな
たのしかったわ。
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