まつだのぺーじ Kamikochi Photos: この世界の片隅に、みた。

2017/01/19

この世界の片隅に、みた。

ふいー、

アニメ映画『この世界の片隅に』を、みてきましたー。

よかったっすー。

アニメは、絵もうごくのもきれいやし、曲もすてきでしたー。

感想というか、ふとおもいついたことをまとめとこうかなーとおもい。

ネタバレしたくないひとはみないでねー。

以下、ネタバレ注意





漫画のアニメ映画化。太平洋戦争前から、終戦のころらへんの時代の、広島、呉の話。

主人公の、本人いわくぼーっとした女の子のせいかつ、呉へ嫁いで、その家族のはなし。

なんか、その地域のこととかことばとか、そのころのせいかつのこともみられてたのしかった。

のりやさんの家なんやなー、とか、瀬戸内海のうみがきれいやなー、とか。

19かで、ほしいといわれて嫁ぐ。まあ、そのころはそんなかんじなんでしょうなー。

で、嫁ぐまえの初恋や、嫁いだ旦那に恋もして。

で、当時戦争やってるから、呉の軍港のことなんかも。大和も。

そして空襲も、ヒロシマのこともあるし(主人公の実家が広島)
出征した兄や、ご近所の方もしんでかえってくるから
戦争って、やっぱ、死がすぐそばにある。

戦争って、人殺しが、正しいことになっちゃうんだよねー。ふしぎ。

人間をたくさんころせば英雄になる。敵やから、っていうことで。ふしぎ。

まあ、せいかつのことがメインなので、きほんほっこり系やったとおもうんやけど、どうかなー。

戦争しててもね、日々のくらしの出来ごとはたのしくて、よかった、っつって
わらって、いきてる。

おそろしい、おどろおどろしい描写のシーンなんかはないねんけど

やっぱ、死がつきまとってきて、かわいいめいっ子がしんだり
右手が、なくなったりした。

ほんで、ぼーっとしていきてきた主人公は

終戦のときかなしかったりくやしかったりして





地面を殴りながら、泣いて泣いて





ずっーと、ぼーっとしてたかったなあ





っていうんやけど、つまり、ぼーっとしてたけど





ぼーっとしてないじょうたいに、なったから

ぼーっとしてたかったのに、ってこと、かなあ。





まあ、じぶんがぼーっとしていられても

戦争ってやっぱふつうのじょうたいとはいえんしなー、とは、おもう。

「ふつう」って、人それぞれにとってなにがふつうか、ちがうけどさー

戦争じょうたいがふつう、とはおもっていたくないしさー(人殺し正当じょうたい)

戦争てやっぱ、ふつうじゃない、とおもうねんけどなー。

だから、主人公自身は、ぼーっとしててよかったんだけど

戦争の時代てことで、そこがふつうじゃなかったから

ぼーっとしてたら、つらい目にあった?

ぼーっとしてたから、つらい目にあった?



いやー、ぼーっとしてても、もし主人公がぼーっとしてなくても

ばくだんの直撃とか、たまたま広島に里帰りできていたら(電車のきっぷがとれず広島にかえられなかった)

どんながんばっても、っていうか、ぼーっとしてても
してなくても

そんなん、まったくかんけいなく

しんじゃうとおもうしね。

なんのつみもないひとが、とかいうけど

つみあろうがなかろうが、かんけいないしね。
ばくだんきたら、その他の攻撃きたら、しんじゃうしね。

運がよかったら、わるかったら、っていったって

出来ごとが起こらないと、わからんしね。

後付けの、結果論ということかなー、とおもう。
なっとくするために。





義理の姉さんが

「ハルミのことあんたのせいにしてわるかった」

といったとき、なみだがでた。

ハルミてめいっ子で。義理の姉さんの子やねんけど

義理の姉さん、やりきれんから主人公のせいにしてたけど

ほんとは、自分のせい、っておもってたから、たぶんひとのせいにして。

にんげんて、誰か、のせいにしないとなっとくできへんから、そうしてしまうんやろうなあ、と。

戦争のせい、っつっても、
「戦争」ってじょうたいの名前やし、戦争はあかん、戦争がわるい、っつってても
言うてるだけになるから、もっとわかりやすく、ひとのせいにしちゃうんかなー。

でも、ほんとは、じぶんのことをせめてるんかなー、って。





なんか今回映画みて、いっしゅん

わたしがこの時代にいきてたらどうなってただろう、とか

そやったら、もうけっこんしててこどもとかも
うめよふやせよとかでいっぱいうんでたんかなー

とか、

わたしのだいじな友人たちは陸軍さんにとられて戦死かなーいややー

とかおもったけど

そんなんいややなー、っていっしゅん、かなしくなったけど

なんか、もしも…って

それでかなしむとかって、そやって考えるじかんって





超、むだやなー、という、結論にいたった。





そんなん考えて、かなしむくらいなら

なんかまえむきに、これからのことやらにゃ、じかん、そんしませんかねー、ってね(笑)

だいじにしたらええやん、と。

覚めて考えてみたら





(この世界のあちこちのわたしへ)





ってさいしょに言ってて

じゃっかんトリハダなってー

あー、なんか、主人公みたいに、いまを生きやー、ってことやー

そうゆういみでは、主人公となんもかわらん、いっしょのじかんとせかいを生きてる

ってそうおもって

わたしはも、ぼーっとしてたかったなあー、っておもうけど

もう、ぼーっとしてないんだなー、これが。





だから、

あのじだいやったら、とか

わたしが主人公やったら、とか

もしあのときこうせずにああしていたら、とか

むだやなー、って。

もちろん、たにんの気持ちをそうぞうする、慈悲のこころをもっている、感受性をそだてるってのはまたべつのはなしで

それもだいじやけど

やっぱ、もしもーもしもー、のはなしでおわらしたら

それこそじかんも、このアニメもむだやろうとさえおもったー。

メッセージは

(この世界のあちこちのわたしへ)

やったから

そうゆうことかー、となんか、おもった。





まんがもかってきたー。ゆっくりみよー。たのしみー。

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